流木アートギャラリー「もっちょむ庭園」 金澤尚さん

朝日新聞 2006年04月01日

金澤尚は良い男
 バクテリアの這(は)った跡が、幾何学模様の線を描く。堅い木にドリルでくりぬいたように開けられた穴は、フナムシの食痕だ。
 屋久島の海岸に打ち上げられる流木たち。95年に横浜市から島に移り住んで以来、川を流れ、海で洗われた木々の様々な表情に魅せられ、そこに新たな命を吹き込む営みを続けている。
 島南端にそそり立つモッチョム岳(940メートル)を眼前に眺める場所に開いたのが、流木アートギャラリー「もっちょむ庭園」だ。恐竜映画に出てきそうな怪鳥や妖精か珍獣、あるいは人間の姿にも見える不思議な大小の造形物が空間を埋める。 作業場は台風の後に拾い集めた何万個という流木であふれる。樹齢千年を超す屋久杉が交じっているかもしれない。形で面、目、足などパーツに分け、真水で塩抜きして、タワシがけでつやを出す。化学塗料は使わない。完成した作は海辺や森に運び出し、写真に収めるのも楽しみのひとつだ。
 ギャラリーを訪れ、「静まり返った夜中に何かが始まりそうな世界」と評した客の言葉がうれしかった。「それぞれ好きなように想像してもらっていいんですよ。どんな年月を経て、こんな形になったのだろうと」
 しかし、アートだけでは暮らせない。移住の際に妻と一緒に来た次女は今春、大学進学が決まった。家族のために流木で時計や写真立て、キーホルダーなど加工品を作る機会も増えた。
 プロのジャズマンを目指していた。中学1年で初めて手にしたトランペットに熱中し、卒業後に故郷・秋田市から上京。高校を中退し18歳でプロのジャズオーケストラに入り、その後も20〜30のバンドで演奏を続け、日本を代表する渡辺貞夫や山下洋輔らとセッションしたこともある。
 渡米して数カ月間、本場のジャズを吸収、修業も積んだ。しかし、上には上がいた。超一流でなければ成功はないと、30歳で見切りをつけ、横浜で小さな花屋を開いた。ありのままの自然へのあこがれが募り、93年に世界自然遺産登録された屋久島行きを決意した。 台風と多雨、「洋上のアルプス」と呼ばれる山々、急傾斜を下る水の流れ、花崗岩(か・こう・がん)の大地に根をはる植物……。この島の自然の苛烈(かれつ)さが、流木に投影されていると思えた。
 移住して10年余り。自らの人生と重ね合わせた「流れ者(流木)」に今、音楽で果たせなかった夢を託す。「持続可能な社会って何だろう」――。最近は平和や環境問題を「流れ者」で表現できないかと、思索を巡らせている。
   (文と写真・北沢祐生)

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